万葉(まんよう)の時代 飛鳥(あすか)・奈良(なら)
[2010年3月18日]
ID:1130
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今から1250年ほど前、万葉集(まんようしゅう)という本ができました。おおむかしから、そのころまでに作られた詩(し)が、4500点ものっています。この詩は、歌(うた)とよばれています。万葉集にのっている歌の多くは、今から1350年前から1250年ぐらいの間に作られています。この100年くらいの間を、万葉の時代と言うことがあります。
この万葉集に、東近江市(ひがしおうみし)で作られた歌がのっています。男の人と女の人が、おたがいにこうかんした、たいへん有名(ゆうめい)な恋(こい)の歌です。男の人の名前は大海人皇子(おおあまのおうじ)、女の人の名前は額田王(ぬかたのおおきみ)といいます。
市内のいくつかのところに、このときのようすを思いうかべた絵があります。近江鉄道(おうみてつどう)八日市駅(ようかいちえき)正面(しょうめん)の壁(かべ)や、万葉の森舟岡山(まんようのもりふなおかやま:野口町・糠塚町)のものを、見た人もいるでしょう。
五個荘地区(ごかしょうちく)を通っている国道(こくどう)8号線(ごうせん)のもととなった道は、むかし「中山道」(なかせんどう)そしてもっとむかしは「東山道」(とうさんどう)とよばれていたたいへん古い道です。今からだいたい1300年ぐらい前、日本の国づくりのひとつとして、何本かの大きな道がつくられましたが、そのうちの1本です。この道の特徴(とくちょう)は、土地が平らな部分ではまっすぐなことです。くねくねと曲がりくねっていないのです。
また、むかしはこの道のまわりや市内の平らな土地のところには、田んぼの形がきれいな正方形に見えるところがありました。これも、東山道ができたころから少しずつ、このような形につくられました。このような田んぼの形やしくみを「条里制」(じょうりせい)といいます。
まっすぐな道や田んぼの形から、東近江市は、たいへん古くから開かれていたことがわかります。