臨済宗 永源寺派 大本山永源寺
[2019年3月11日]
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大本山永源寺は臨済宗永源寺派であり、南北朝時代の康安元年(1361年)、近江守護佐々木氏頼に請われ、高名であった寂室元光禅師(じゃくしつげんこうぜんじ)が開山しました。深山幽谷の様が中国の天目山を思い起こさせ、修行の場として最適とされました。永源寺は愛知川に沿って境内が広がり、僧の修行は愛知川の清流の音とともにあると言われます。
禅の道場としての美しい景観とともに、秋には境内の見事な紅葉を目当てに多くの観光客でにぎわいます。
平成29年には日本遺産「琵琶湖とその水辺景観~祈りと暮らしの水遺産」の構成資産に選ばれました。
門前の洗耳水で、世俗の汚れを聞いた耳を洗い清め、寺坊に向かいます。
境内には紅葉(モミジ)や楓(カエデ)が多く、紅葉の季節には、総門にたどり着くまでの途中にある紅葉が見事です。
山門は江戸時代後期の享和二年(1802)に7年もの歳月をかけて建立されました。楼上には釈迦三尊と十六羅漢をおまつりする威厳あふれるものです。
全国でも珍しいヨシ葺きの大屋根を持つ本堂です。まつられる本尊は世継観音と称され、一心に願えば世継ぎが授かる霊験あらたかな子授けの観音として親しまれています。
道前慈明 管長は、「平成28年に開山寂室禅師650年遠諱(おんき)を挙行しました。寂室元光禅師は、さまざまな師のもとで研鑽を積み、31歳で中国に渡り、天目山の中峰明本禅師(ちゅうほうみんぽんぜんじ)にまみえ薫陶を受けます。中国の各地を行脚し、37歳で帰国された後は、朝廷や幕府の拝請を固辞され、72歳まで諸国を巡り行脚説法を続けられました。南北朝時代の興安元年(1361年)に、近江守護職の佐々木六角氏頼公が領内の土地を、寂室元光禅師に寄進して伽藍を創建したことが大本山永源寺の始まりです。伝えによれば、永源寺の深山と幽渓がかつての天目山を思い起こさせ、寂室元光禅師にこの地に留まる決心をさせたといいます。
大本山永源寺の誇りは、優秀な弟子が育っていることと、静かな山中にお寺があることです。新緑や紅葉の季節ごとの景観が素晴らしく、心穏やかに過ごせる永源寺を愛しています。ぜひ、多くの皆さんに訪れていただきたいと思います」と話されます。